大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

和歌山地方裁判所新宮支部 昭和41年(ワ)60号 判決 1976年8月20日

原告 国

訴訟代理人 斉藤光世 谷旭 ほか二名

被告 浜地利三郎 ほか一名

主文

一  被告浜地利三郎は原告に対し、別紙目録記載の土地につき、和歌山地方法務局那智出張所昭和三八年一二月一三日受付第三四九八号の被告中谷修二から被告浜地利三郎に対する所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

二  被告中谷修二は原告に対し、別紙目録記載の土地につき、昭和一八年一一月二日の売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

(一)  主たる請求

主文同旨の判決。

(二)  第一次予備的請求

かりに右被告両名に対する主たる請求が認容されない場合には

「一 被告浜地利三郎は原告に対し、別紙目録記載の土地につき、昭和一九年六月二〇日(仮りに同日でなかつたとしても昭和一八年一一月二日もしくは昭和二〇年一二月一日)時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

二  訴訟費用は、被告浜地利三郎の負担とする。」との判決。

(三) 第二次予備的請求

さらに右第一次予備的請求も認容されない場合には、

「一 被告中谷修二は原告に対し、金一、六一二、四〇〇円およびこれに対する昭和三八年一二月一三日から支払ずみまで年五分の割合の金員を支払え。

二 訴訟費用は、被告中谷修二の負担とする。」との判決および第一項に限り仮執行宣言。

二  被告浜地

「原告の被告浜地に対する請求はいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

三  被告中谷

「原告の被告中谷に対する請求はいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

第二当事者の主張

一  原告(請求原因)

(一)  被告両名に対する主位的請求及び被告浜地に対する予備的請求

1 原告国(当時旧海軍省所管)は、昭和一八年一一月二日別紙<省略>目録記載の土地(当時登記簿上和歌山県東牟婁郡勝浦村字金嶋七四一番地・畑五畝一二歩の一部であつた、以下本件土地と略す)を、旧海軍勝浦磁気観測所設置用地として、当時その所有者であつた中谷晋正の実母で同人の代理人であつた中谷さとえから買受けて、その所有権を取得した。

2 その後昭和二〇年三月一五日右中谷晋正が死亡し同人には他に相続人がなかつたところから、実母の右中谷さとえが同人を家督相続したが、本件土地についてはその所有権移転登記をしないうちに、同女も同三四年二月二四日死亡したため、同女の養子であつた被告中谷修二(同二二年二月二五日養子縁組、以下被告中谷と略す)が同女を相続し、同被告が同三六年五月一三日右中谷晋正から中間省略によつて相続を原因とする本件土地所有権取得登記をしたのち、更に同三八年一二月一三日これを被告浜地利三郎(以下被告浜地と略す)に対し売渡したものとしてその所有権移転登記がなされている。

3 仮りに、被告浜地に対し原告の右所有権取得が対抗できないとしても、

(1) 原告は本件土地上の建物の竣工引渡をうけた昭和一九年六月二〇日以降現在にいたるまで二〇有余年にわたり本件土地の占有を継続しており、右同日より二〇年を経過し、かつ、被告浜地が本件土地所有権移転登記を経由した後である昭和三九年六月二〇日をもつて本件土地につき取得時効が完成しているので、原告は本訴において右取得時効を援用する。

(2) 原告が本件土地の占有を開始したのは右(1)のとおり昭和一九年六月二〇日であるが、仮りに被告浜地主張のように占有開始の日が右同日以前である昭和一八年一一月二日であつたとしても、原告は同日以降現在まで二〇有余年にわたり所有の意思を以つて平穏公然に本件土地の占有を継続しており同日から二〇年を経過した昭和三八年一一月二日をもつて本件土地につき取得時効が完成し、原告は昭和一八年一一月二日本件土地を時効取得した。

(3) 原告は、本件土地の占有開始以来、平穏かつ公然にこれを占有して来たが、仮りに本件土地の占有開始の日として原告が主張する昭和一九年六月二〇日もしくは昭和一八年一一月二日のいずれかの時点において、たとえ海軍省当時の占有が平穏性を欠くものであつたとしても、本件土地につき軍の解体に伴い海軍省から大蔵省へ移管されたのが昭和二〇年一二月一日であり、原告は少くとも同日以降、二〇有余年にわたり本件土地を平穏に占有して来たから(なお、海軍省当時から所有の意思をもつた公然の占有である)、同日から二〇年を経過した昭和四〇年一二月一日をもつて本件土地につき取得時効が完成し、原告は昭和二〇年一二月一日本件土地を時効取得した。

(4) よつて、原告は、被告浜地に対し、所有権にもとづき、本件土地につき和歌山地方法務局那智出張所昭和三八年一二月一三日受付第三四九八号の被告中谷修二から被告浜地利三郎に対する所有権移転登記の抹消登記の手続を求めるとともに、被告中谷修二に対し同土地につき昭和一八年一一月二日売買を原因とする所有権移転登記手続を求める。かりに右請求が認容されない場合には、原告は、被告浜地利三郎に対し、同土地につき、昭和一九年六月二〇日(仮りに同日でなかつたとしても昭和一八年一一月二日もしくは昭和二〇年一二月一日)時効取得を原因とする所有権移転登記手続を求める。

(二)  被告中谷に対する予備的請求

1 かりに、以上の請求が認容されない場合は、原告は被告中谷修二に対して、不法行為ないし債務不履行による損害賠償として金一、六一二、四〇〇円およびこれに対する不法行為の日である昭和三八年一二月一三日から支払ずみまで年五分の割合の遅延損害金の支払を求める。

2 すなわち、被告中谷修二は、亡中谷晋正が原告に対し負担していた売買にもとづく本件土地の所有権移転登記義務を相続により承継しているのに、本件土地を被告浜地利三郎に二重に売渡し、昭和三八年一二月一三日同被告に対し所有権移転登記を了した。したがつて被告中谷修二の、原告に対する本件土地の所有権移転登記義務は同日履行不能となり、その結果原告は本件土地の所有権を喪失することとなつた。よつて、原告は本件土地の時価相当額の損害を蒙つたわけであるが、その時価は少なくとも一、六一二、四〇〇円である。

すなわち、本件七四一番の一の土地の登記簿謄本(<証拠省略>)によれば、昭和三六年七月二〇日当時、七四一番の土地(五畝二四歩)は七四三番(一畝二六歩)(<証拠省略>)、七四四番(二七歩)(<証拠省略>)の土地とともに、債務者を被告浜地利三郎として興紀相互銀行に対し債権元本極度額三〇〇万円で担保に供されている。

債権元本極度額は担保物件の時価の六割ないし七割であるのが金融界の常識である。そして、右三筆の土地のうち、七四一番の土地がその面積、地形からみて最も地価が高いと考えられるが、少なくとも皆地価が等しいと考え、さらに債権元本極度額を三筆全部の時価と考えても、七四一番地の坪単価は一一、六〇〇円強となる。したがつて、本件土地(四畝一九歩)の当時の時価は少なくとも一、六一二、四〇〇円を下らなかつたものである。

しかして、本件所有権移転登記義務が履行不能となつた昭和三八年一二月一三日当時はさらに時価が高謄していたことが窺えるが右時価を履行不能による損害額とする。

二  被告ら(答弁・抗弁)

(一)  答弁

1 被告浜地の答弁

(1) 原告主張の請求原因事実(一)1のうち、本件土地が登記簿上、旧東牟婁郡勝浦村字金嶋七四一番地畑五畝一二歩の一部であることは認めるが、その余は争う。

(2) 同事実(一)2は認める。

(3) 同事実(一)3は否認する。

(4) 被告浜地の主張(積極否認事実)は次のとおりである。

イ (イ)原告が本件土地の占有管理をはじめたのは、昭和一八年一一月下旬頃であつて、原告が昭和一九年六月二〇日頃になつてはじめて占有をはじめた如く主張するのは、不当なる目的(時効起算点の繰り下げをはからんとするものである。大判昭和一四・七・一九民集八五六頁、大聯判大正一四・七・八民集四一二頁参照)に出たもので許されない。また原告は、(ロ)地上建物の所有により本件土地を占有していたと主張するが、当初から原告の占有管理は存在せず、原告主張の地上建物は、約半坪の建物(便所)の外は、極く一部が本件地上にはみ出ていたにすぎず、その大部分は隣地上にあつたのであり、(ハ)しかも右地上建物も戦後は殆んど占有管理されることなく放置されていたのであつて(従つて地上建物の所有により本件土地を所有の意思をもつて占有していたとはいえない)、とくに、(ニ)被告が右建物を除却した後の昭和三八年一月頃以降は、原告は、如何なる意味でも本件土地を占有管理していなかつたのである。

ロ 原告は、本件土地を買い受けるべく予定し、戦時中の軍の威力をもつて、買受手続未了中にもかかわらず使用を開始したが、手続未了のまま終戦となり、実測、分筆、代金の支払、移転登記等はすべて未了のまま放置されてしまつた。従つて、本件土地の所有権は、中谷晋正に属したままで、売買等により国に移転したことはない。

2 被告浜地の抗弁

(1) 仮りに本件土地が中谷晋正から原告国に売買されたとしても、被告浜地は、原告国に対する右登記手続未了の間に、その承継人である被告中谷から本件土地を買い受け、その所有権を取得し、取得登記を了した。したがつて、被告浜地は原告の登記の欠缺を主張するにつき正当な第三者である。

そして、原告は登記を経ていない。

(2) 仮りに、原告が当初本件土地を占有したことがあつたとしても、その時期は、昭和一八年一一月中のことである。そして、被告浜地は、右時点から二〇年経過後の昭和三八年一二月一三日、同日付売買を原因として、和歌山地方法務局那智出張所受付第三四九八号をもつて本件土地にかかる所有権移転登記を経由しているから、原告は、取得時効をもつて被告浜地に対抗し得ない。

この点について原告は、最判(第二小法廷)昭和四二・七・二一判時四九三号三二頁を引用し、移転登記経由時期よりも所有権移転時期を基準とすべき旨主張しているが、右判決は純然たる二重売買に関するものであつて、本件に適切ではなく、すしろ、「時効が完成しても、その登記がなければ、その後に登記を経由した第三者に対しては時効による権利の取得を対抗することができない」としている昭和四一年の最高裁判決が妥当である(最判昭四一・一一・二二民集二〇巻九号一九〇一頁)。

(3) 原告は本件土地につき所有の意思をもつていたとは到底認められない。けだし登記事務を管掌する国が、所管部局において所有の意思をもつて管理していたとすれば、取得登記を備えずに二〇数年間も放置するが如きことは考えられないからである。

なお、仮りに原告が戦後も所有の意思をもつて占有していたと認められるとすれば、原告が本件土地の占有を始めたのは前述の如く昭和一八年一一月中のことであり、取得時効が完成しているとすれば、それは被告浜地が取得登記を経る以前の昭和三八年一一月中に完成したと認むべきであり、従つて時効取得をもつて被告浜地に対抗することはできないのである。原告の右時効取得の主張も、理由がない。

(4) かりに原告が当初本件土地を占有していたとしても、これは軍の威力をもつてした強暴の占有であつて、取得時効の要件である平穏の占有ではない。

(5) さらに、仮りに本件土地につき原告の占有が開始されていたとしても、それは、昭和三四年四月頃の観測所廃止によつて終了し、また、地上建物の取毀された後である昭和三八年一月頃以降は、如何なる意味でも、取得時効の要件たる公然の占有はなく(雑草の茂みの下に埋れた境界石は、なんら原告の公然の占有を示していない)、少なくとも、この時点で占有の自然中断があり、取得時効は完成していない。

3 被告中谷の答弁

(1) 原告主張の請求原因事実(一)のうち2の事実は認めるが、その余は否認する。

(2) 同事実(二)は全部否認する。

(3) 被告中谷の主張(積極否認事実)は次のとおりである。

イ 昭和一八年一一月頃、海軍磁気観測所設置のため海軍にて本件土地附近の土地を買収したい旨(但し、戦争終結すれば返還する条件)要請があつたが、場所坪数代金額等の確定なく、且つ売渡の決定もなく、従つて売買代金も受領していない。

ロ ただ大戦の戦況深刻化につれ前記売買の成立しないまま海軍が本件土地附近に右観測小屋を設置したが、この小屋は訴外吉野貞三の所有地上にあつたもので、被告中谷の土地はもとのままであつた。なお、当時海軍その他から何等の代償乃至対価をもらつておらないし、当時としてはこれに対し一般市民衆から軍部を文句を言えない状態であつた。

ハ そして右観測小屋は終戦後荒れ果てていたが、昭和三四年四月頃右観測所を完全に閉鎖してしまつた(別の観測所が下里の通称ホトコロ山へ新設された)。

ニ 従つて終戦後は右小屋及びその附近は荒れ果て無人小屋となり、小屋以外の土地は被告中谷及び前記訴外吉野の密柑等の木等があり被告中谷及び同訴外人がこれを占有管理し、且つ収獲を行つていた。

ホ 以上の如く被告中谷は本件土地が自己の所有であることを確信し、終戦により海軍が借用使用を廃止してからはこれを占有していたものである。従つてその後昭和三七年頃以後国から登記要請があつたときも、本件土地は売つてないし、戦時中海軍に戦争遂行の必要上との要請で無償使用されていたのみであつて、被告中谷の所有占有するものである旨言明し、それらの要請を拒否した。

ヘ 原告主張の本件土地の坪単価一一、六〇〇円の算出根拠は極めて薄弱であり、合理性を欠いている。担保物件の担保価値の評価は一律には決まらず、債務者や物上保証人等債務者側の資力・信用力等を総合的に判断し、更に過去の取引・将来性など人的関係を考慮して決まるものである。現地を見れば判る通り、当時坪単価一一、六〇〇円という原告算出の時価は、余りに高すぎ、不合理である。

4 被告中谷の抗弁

(1) 原告は所有の意思及び占有を欠き取得時効は不成立である。本件土地上には小さな便所があつただけである。仮りに当初運輸省水路部が観測施設として使用していたとしても昭和二五年ないし二六年頃には既に観測所は廃止され、事務棟や便所などはみな除去されてしまい、その後は空地となり、荒れたまま放置されている。この時点で原告は既に占有を放棄し所有の意思を欠如したもので取得時効の要件である「所有の意思」を欠き、取得時効は不完成である。堆積した落葉の下に埋れた飛び石杭では占有の事実及び所有の意思があつたとは到底言えない。寧ろ、原告は昭和一九年頃より同二五、六年頃まで本件土地を不法占拠していたのである。

(2) 仮定的抗弁として、前記被告浜地主張の強暴による占有の抗弁(4)、占有の自然中断の抗弁(5)と同様の主張をする。

三  原告(抗弁に対する答弁・再抗弁)

(一)  答弁

1 被告浜地主張の抗弁(1)の事実は認める。

2 同抗弁働(2)(3)(4)(5)の事実は否認する。

3 被告中谷主張の抗弁は否認する。

4 本件土地の占有状況、取得時効に関する原告の主張(積極否認)は次のとおりである。

(1) 本件土地の占有関係

イ まず、本件土地とこれと同時に吉野貞三から買受けた本件土地の東側に接続する土地(東牟婁郡那智勝浦町大字勝浦字金嶋七四二番地畑六畝二三歩、和歌山地方法務局那智出張所昭和一九年六月一六日受付第五二三号をもつて所有権移転登記ずみのもの、(<証拠省略>)とを一体として、旧海軍省が昭和一九年六月二〇日これらの地上に木造平家建一棟(建坪六坪)、便所一棟(建坪一坪)、コンクリート標柱二基(観測用)、石造諸標二〇基(観測用)、および本件土地を含む右各土地の周囲を囲む木造囲障と出入門を建設のうえ、旧海軍省勝浦磁気観測所施設(行政財産)として終戦後である昭和二〇年一一月三〇日までの間、管理・使用してきたのである。

ロ ついで、同年一二月一日大蔵省に普通財産として所管換となり、同省が管理するところとなつたのであるが、現実には水路観測を継続すべき状勢にあつたため、引続いて大蔵省所管の普通財産のまま運輸省水路部に貸付けられ、本件土地を含む右各土地建物は運輸省水路部勝浦水路観測所施設として管理・使用されたうえ、昭和二五年八月四日大蔵省より右観測の用に供する行政財産として正式に運輸省に所管換されて、右同様管理・使用されてきたのである。

ハ そして、その後右水路観測所の廃止に伴い右各建物等は除却し、右各土地のみを昭和三八年一一月一五日再び大蔵省に所管換されたため、爾後現在に至るまで大蔵省近畿財務局和歌山財務部が普通財産としてこれらの土地を管理しているものである。

ニ 被告らは、本件土地の取得時効につき、公然の占有ではなく、自然中断している旨主張するが、本件土地については七四二番地の土地とともに海軍の境界標石をもつてその範囲が客観的に明らかにされ、また同土地と共に普通財産台帳にも登載されて現在に至つているものであつて、原告が右境界標石を除去するとか、国有財産台帳上から削除するなど任意に本件土地の占有を中止する行為は全く行つていないのであるから、原告の占有が公然と継続されていることは明らかである。なお、本件土地上の建物は、それが残存することによつて火災の発生、不法侵入などの不測の事態の生ずることを未然に防止し、本件土地の管理を容易ならしめるために除去されたもので、原告が本件土地の占有を放棄したものでない。

被告ら主張の自然中断の主張は失当である。

ホ 民法一六二条の平穏な占有とは判例学説上「強暴(強迫暴行)の占有に対する語にして、即ち占有者が其占有の取得又は保持するに法律上許されざる強暴の行為を以つてするに非ざる義」であるとされている(大判大五・一一・二八判決)。

ところで、原告(具体的には海軍)が本件土地を取得し所有者として占有使用を開始し得たのは、その当時としては本土防衛など戦争遂行のために国民が軍に対して協力を惜しまなかつたことによるのであつて(公知の事実)、本件土地に関してもそのような事実があつたからに他ならない。

(2) 取得時効の起算点

原告は、二次的に時効取得を援用しその起算点を昭和一九年六月二〇日即ち本件土地上に建物が完成し国有財産台帳に「新築」として登載した日であると主張するものであるが、本件土地のように一筆の土地(七四一番地)の一部を時効によつて所有権を取得したとするには、その地域の範囲については他の地域と異なり取得者の占有に属するものであることを、認識するに足る客観的徴憑が継続して存在したことを要する(昭和三年(オ)第四九一号大判昭三・九・二九新聞二九一二号一六頁)のであるから建物が建ち上つた状態をもつて始めて自主占有があつたと言う事が出来ると考える。

仮りにその客観的徴憑を建物建築着工時と考えたとしても、一般に本件土地上の建物のように木造平家建の庁舎(住宅建より内部構造は簡単である。)のような場合、三ケ月程度の工事期間が常識であつて、また本件建物のような戦時の軍用施設は突貫工事で行なわれたことは充分推測され、少なくともその期間が昭和一九年一月を遡ることは考えられない。

(3) 取得時効の完成時点

原告の時効取得の完成時については昭和三九年六月二〇日であり、早くとも昭和三九年一月以前ではない。

原告は本件土地の占有の始めにおいても善意無過失と考え民法一六二条第二項の一〇年の取得時効をも援用できると考えるが、時効完成時の対抗力の関係から民法一六二条第一項の二〇年の取得時効を援用する。

なお、一〇年の取得時効を援用できるものが二〇年の取得時効を援用しても差支えないとするのが判例の立場である(大判昭一五・一一・二〇新聞四六四六号一〇頁)。

(4) 時効取得と登記との関係

被告らの主張によれば被告中谷、同浜地間の本件土地売買は右時効期間の満了までになされたものであるから、被告浜地は時効完成前の二重譲受人、即ち原告の右取得時効完成当時の本件土地の所有者であり、従つて本件土地所有権の時効による得喪の当時者の立場に立つものというべきであるから、原告は右時効取得を原因とする所有権移転登記なくして被告浜地に対抗し得る(最判昭四二・七・二一判時四九三号三二頁参照)。

(二)  再抗弁

原告は被告浜地に対し次の理由によつて本件土地所有権を取得登記なくして対抗できる。

1 被告両名間の本件土地売買に際し、被告中谷の実父で同被告の代理人であつた新宅百蔵は、本件土地につき被告中谷がすでに述べたような経過によつて承継すべき所有権を有せず、従つて右の相続登記も架空のものであるにもかかわらず、昭和三八年四月二五日原告が被告中谷に対して書面により本件土地所有権移転登記の請求をしたところ、原告の取得登記が未了のままであることを知りながら、これを奇貨としていきなり同年一二月一三日本件土地を被告中谷から被告浜地に売渡したものとしてその所有権移転登記を経由してしまつた。しかしながら、当時この土地には、旧海軍省が昭和一九年六月二〇日に竣工引渡をうけた磁気観測所用建物が建設されており、そのために、同土地は、隣接地とあわせて整地され、同建物の敷地として終戦時までその用に供され、終戦後も引続き大蔵省(財務局)および運輸省(海上保安本部)が旧海軍省からうけついで有姿のまま保管中のものであり、このことは右新宅百蔵も十分知悉していたところである。

2 更に、被告浜地は、右買受けに先立ち、昭和三七年二月二三日原告から本件土地上にあつた取毀建物の払下を受けている。そして、この払下にあたり本件土地を見分した際、本件土地が原告の所有に属することを自認していた。のみならず同被告は、多年本件土地の所在する東牟婁郡那智勝浦町に居住するとともに、本件土地買受当時においては、同町々会議員を勤める傍ら住所地にあつて株式会社丸浜組代表取締役として建設業を営んでいたもので、本件土地がすでに述べたようにその隣接地と合せて原告によつて占用使用されてきていたことも充分知悉していたものである。

3 しかも、このような状況に加えて、原告が被告中谷に対して登記請求を再々したところ、その情を知りながら、同被告は、ことさらに言辞を弄し、かえつて、二度にわたり被告浜地の債務のため本件土地を物上保証として提供してしまつた。そして、さらに原告が登記の請求をするや、今度は遽かに被告浜地に本件土地を売却してしまつたのが真相であり、このような事実関係からすると、被告浜地は、右新宅百蔵、被告中谷らと通謀して自己に不当の利得を得んとの企画のもとに(本件土地上に観光旅館を建設せんと企図していると聞く)、本件土地の売買をしたうえ、右に述べたような登記を経由したものであることを窺うに充分であり、このような事情のもとにおいて、本件土地所有権を取得した被告浜地が原告に対しその登記の欠缺を理由に原告の本件土地所有権取得を否定しようとすることは、著しく社会正義もしくは信義則に反するものといわなければならず、被告浜地は原告の登記の欠缺を主張するにつき正当なる利益を有しないもの(いわゆる背信的悪意者)であるといわざるを得ない。

四  被告ら(再抗弁に対する答弁)

(一)  被告浜地の答弁

1 原告主張の再抗弁事実1のうち本件土地の一部が終戦前(但し、昭和一八年一一月下旬頃)隣地とあわせて整地され、旧海軍の磁気観測所用建物の敷地として使用され、終戦後も同地上に建物が存置されていたことは認めるが、その余は争う。なお、右観測用建物とは便所用の建物のみである。

2 同事実2のうち被告浜地が本件土地買受前昭和三七年二月二三日右地上建物を取毀建物として払下を受けるに際し、本件土地が原告の所有に属することを自認し、知悉していた点は否認するが、その余の事実は認める。

なお、被告浜地は右建物払下当時すでに本件土地を買受けていたものである。

3 同3の事実は否認する。

4 被告浜地は本件土地が国の所有に帰属していたとは知らず、却つて国の所有でないと信じて本件土地を買受けたものである。

(二)  被告中谷の答弁

原告主張の再抗弁は全部否認する。

第三証拠<省略>

理由

第一主位的請求に対する判断

一  当時者間に争いのない請求原因事実

原告主張の請求原因事実中(一)2の事実すなわち、昭和二〇年三月一五日中谷晋正が死亡し同人には他に相続人がなかつたことから、実母の中谷さとえが同人を家督相続したが、本件土地についてはその所有権移転登記をしないうちに、同女も同三四年二月二四日死亡し、同女の養子であつた被告中谷修二(同二二年二月二五日養子縁組)が同女を相続し、同被告が同三六年五月一三日右中谷晋正から中間省略登記によつて相続を原因とする本件土地所有権取得登記を得たのち、更に同三八年一二月一三日これを被告浜地に対し売渡したものとしてその所有権移転登記がなされていることについては当事者間に争いがない。

二  原告国の本件土地買受の検討

<証拠省略>を総合すると、

(1) 昭和一七年一二月六日本件土地の前々々所有名義人で被告中谷修二の祖父中谷干治が死亡した。

(2) 昭和一八年一〇月二三日本件土地の前々所有名義人で被告中谷の養父中谷晋正が本件土地につき家督相続による移転登記を完了した。

(3) 同年一一月二日原告国の当時の呉海軍施設部(旧建築部)村上書記外四名が那智勝浦町を訪ね、地主の吉野貞三、同中谷晋正、及び同町平石助役、山下書記を同道のうえ本件土地及び隣地の現地調査を行い、その後同町役場二階において、地主の代理人である吉野律、中谷さとえを呼出し前記平石助役、山下書記立会のうえ、前記呉海軍施設部の村上書記から同町大字勝浦字金嶋七四二番地吉野貞三所有の畑全部、同七四一番地の中谷干治(前記(1)のとおり晋正の実父で昭一七年死亡)所有名義の畑の一部である本件土地を海軍用地として買収する必要があり、なるべく高額で買収したいとして、土地の坪単価とこれにより算出した代金として、吉野の分は計一、九四八円、中谷の分は実測分割の上坪数を決定する、なお、畑(柑橘)による年収に対し柑橘の樹令二〇年分を補償しホフマン式計算により積算することなどを説明し、登記手続等は海軍においてなす旨を申し入れたところ、右両名は異議なくこれを承諾した。

(4) 昭和一九年四月二八日呉海軍施設部会計課財産係から勝浦町長あてに実測図面添付のうえ海軍省に於て買収した中谷干治所有の本件土地につき海軍用地分割登記手続を依頼する旨の公文書を発送した(<証拠省略>)。

(5) 同年五月一日勝浦町長から右呉海軍施設部会計課財産係あてに右依頼に対する回答として、検算したところ二坪の反別相違があるので、間尺を以つて表示した図面を検討のうえ改めて送付願いたい旨の公文書を送付した。その後呉海軍施設部からの返信がなく分筆登記はなされなかつた。

(6) 同年六月一六日吉野貞三所有の土地につき海軍省に対し昭和一八年一一月二日の売買を原因とする移転登記がなされたが、本件土地については移転登記がされていない。

(7) 同年六月二〇日、本件土地及び旧吉野貞三所有の隣接地上に海軍省は勝浦磁気観測所(木造平家建、建坪六坪)および同所有の便所(木造平家建、建坪一坪)を新設し、本件土地を含む買収土地全域に木造の囲障を施し、木造の出入門や境界標として石造の諸標、混凝土造の標柱を設置した。

(8) 昭和二〇年六月一二日大阪海軍施設部国有財産係海軍書記水守隆平から勝浦町長あてに海軍に於て買収の本件土地につき分筆方を依頼する旨の公文書を発送し、同日付で同施設部長松江秀季名義をもつて勝浦税務署長あてに土地分筆申告をなしている。なお、その後間もなく終戦を迎えたため分筆登記及び移転登記は未了のまま放置された。また、右分筆申告後は昭和三八年度まで固定資産税は課税されていない。

(9) 昭和二〇年八月二二日付をもつて、中谷晋正又はその代理人から(故)中谷干治名義の本件土地の売渡代金三六一円四〇銭の請求書が大阪海軍施設部あてに提出されている。しかも、同請求書欄外には昭和一八年一一月二日国有財産登録済と押印記載されている。

(10) 同二〇年一〇月一二日付で日本銀行大阪支店から大阪海軍施設部出納官吏あてに、請求書(受取人)中谷干治に対する隔地払資金として本件用地買収代金三六一円四〇銭の小切手を受領した旨の領収證が発行されている。したがつて、同金額の小切手が日銀同支店から中谷干治名義で隔地払されたこと。

以上の各事実が認められ、これらの事実を併せ考えると原告国(旧海軍省所管)が昭和一八年一一月二日本件土地を中谷晋正の代理人である同人の実母中谷さとえから買受けた事実が推認でき、右認定に反する<証拠省略>は前記各証拠に照らし遽かに措信できないし、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

三  原告国の本件土地所有権と被告浜地に対する対抗力(未登記の抗弁、及び背信的悪意者の再抗弁)の検討

(一)  原告国が前認定のとおり昭和一八年一一月二日本件土地を中山晋正の代理人中谷さとえから買受けたが移転登記を了していないこと、その後昭和三八年一二月一三日右中山晋正の包括承継人である被告中山修二から被告浜地が本件土地を買受け、その旨の所有権移転登記がなされているとの被告浜地主張の抗弁事実については当事者間に争いがなく、また、原告主張の再抗弁事実中、本件土地の一部が終戦前隣地とあわせて整地され、旧海軍の磁気観測所用建物(但し、そのうち本件土地上にあつたのは便所用の建物)の敷地として使用され、終戦後も同地上に右建物が存置されていたこと、被告浜地が本件土地の買受登記前である昭和三七年二月二三日原告から本件土地上にあつた取毀建物の払下を受けていること、同被告がこの払下にあたり本件土地を見分したこと、同被告は、多年本件土地が所在する東牟婁郡那智勝浦町に居住するとともに、本件土地買受当時においては、同町々会議員を勤める傍ら住所地にあつて株式会社丸浜組代表取締役として建設業を営んでいたことはいずれも原告、被告浜地間に争いがない。

(二)  前認定の各事実及び前記当事者間に争いのない事実と<証拠省略>を総合すると次の各事実が認定できる。

(1) 昭和三四年二月二四日中谷晋正の相続人で同人の実母中谷さとえ死亡。

(2) 同年四月一日、前認定の本件土地、隣接地上に木造の囲障を施して建築されていた勝浦磁気観測所をそのまま引き継いでいた第五管区海上保安本部の勝浦水路観測所が廃止された。

(3) 昭和三五年被告中谷修二は学習院大学へ入学したが、その通学中一年間休学した。

(4) 昭和三六年二月一甘新宅百蔵(被告中谷の実父)は仮払金名下に金七〇万円の領収書、同年三月三一日五〇万円の同領収書、同年五月一〇日二〇万円の同領収書をいずれも被告浜地が経営する丸浜組あてに出している。

(5) 同年五月一三日中谷晋正からその相続人中谷さとえを経て、さらに同女を相続した被告中谷修二が中間省略登記により相続登記を了した。

(6) 昭和三六年七月二〇日本件土地を含む分筆前の土地につき根抵当権設定者被告中谷修二、根抵当権者株式会社興紀相互銀行、債務者被告浜地利三郎、原因同月一七日相互銀行取引契約についての同日根抵当権設定契約なる根抵当権設定登記をなした。

(7) 昭和三七年二月二〇日被告浜地は自己を代表取締役とする株式会社丸浜組を設立した。

(8) 同年一一月一〇日第五管区海上保安本部経理補給部二保正山根誠一は旧勝浦水路観測所土地建物(事務庁舎等)の取りこわし処分の建物の事前調査、現地買受業者選定の復命をしている。なお、勝浦での調査は同月七日行なわれた。この際社長である被告浜地に丸浜組事務所で会い、国所有の右物件買収の交渉をし、その内諾を得ている。

(9) 同年一二月四日前記海上保安本部は右観測所取りこわしずみ廃材につき株式会社丸浜組から見積書を徴取して同会社へ不用物品を売払うことを決裁した。

(10) 同年一二月六日同本部は右不用物品、木材他を計七、四五〇円をもつて最高落札価額とし、同月一〇日株式会社丸浜組はこれを計七、五八三円をもつて買取る旨の見積書を提出して同月一二日これを買取つた。

(11) 昭和三八年二月一五日前記海上保安本部経理補給部長から新宅百蔵(被告中谷の実父)あてに本件土地の原告国に対する所有権移転登記を要請しその意向を質す照会文書を出した。

(12) 同年三月二七日原告国は第五管区海上保安本部古川一馬、吉野貞三、新宅幸恵(被告中谷の実母)立会の下に本件土地を含む旧勝浦水路観測所敷地につき元所有者の中央境界に従い境界杭(円材長六〇cm×経約七cm)五本を設置した。

(13) 同年五月一一日被告中谷から前記海上保安本部経理課補給部長あてに「国有地として不要となつた今無償で国の所有地として移転承諾せよとのおおせには何としても納得いたしかねます」旨の回答文を郵送した。

(14) 同年九月一七日、被告両名は、本件土地を含む分筆前の土地につき同月九日相互銀行取引契約についての同日付根抵当権設定契約を原因とし、株式会社興記相互銀行勝浦支店を根抵当権者、債権元本極度額を金五〇〇万円、債務者を株式会社丸浜組(代表取締役被告浜地)とする根抵当権設定登記をなした。

(15) 同年一一月一七日午前九時三〇分頃から本件土地を含む旧勝浦水路観測所庁舎用敷地につき運輸省(前記海上保安本部)から大蔵省(近畿財務局)への引継ぎを現地において行ない、近畿財務局の安田事務官、北野事務官、和歌山県財務部山本事務官が立会つたが、その際右海上保安本部経理補給部山根誠一が右安田弘信事務官立会のうえ、被告中谷の実母新宅幸恵と勝浦町役場で面接し、本件土地の移転登記を要求して話し合つたところ、同女は本件土地につき旧海軍の書類として中谷干治名義の代金請求書を詳さに見せられて、国に売つたのでしようから移転登記もやむを得ない、登記しましようと述べた。

(16) 同年一二月一三日、被告浜地は本件土地につき同日受付三四九八号、同日の売買を原因として被告中谷から被告浜地への所有権移転登記を了した。

(17) 同日以前は本件土地を含む分筆前の金嶋七四一番原野の土地には海上保安庁水路観測所用地として一部使用していた関係上固定資産税の課税対象から除外していたが、昭和三九年度からは被告浜地に課税している。

(18) 昭和四〇年三月被告中谷は学習院大学を卒業した。

(19) 昭和四一年一二月一九日原告国は本件土地につき処分禁止の仮処分命令を取得してその旨登記すると共に、本件土地を前記金嶋七四一番の土地から分筆登記した。

(20) 本件土地を被告浜地が被告中谷から買受けた時期は前認定(16)の昭和三八年一二月一三日同日付売買を原因とする所有権移転登記を了した時点であつて、被告浜地主張の如く前認定(4)の昭和三六年二月一日、三月三一日、五月一〇日の各仮払金名下に被告中谷の実父新宅百蔵が被告浜地から現金を受取つたときではない。すなわち、被告中谷は昭和一六年三月一四日生であつて右の昭和三六年三月三一日、五月一〇日当時は既に成年に達しており、新宅百蔵が被告中谷の代理人であり、かつ、そのことを明示して被告浜地と取引したとの主張立証がないこと、被告中谷修二本人尋問の結果によると同被告は学習院大学通学中他から学資を借りていたが、その後在学中に本件土地を売却したと聞いているが、前記昭和三八年も同被告が在学中であつたこと、前記昭和三六年の被告浜地経営の丸浜組に対する新宅百蔵の領収証の名目は「仮払金」による支出とし、一時的仮定的な支出を推測させるうえ、本件土地につき被告浜地は自己が登記をせず、自己の債務の担保として興紀相互銀行への抵当権設定登記を二度に亘つて行なつているが、これらも銀行からの融資による転貸などを窺わせること、前記昭和三六年の金員受領、根抵当権設定登記後、昭和三八年一二月の所有権移転登記前である同年五月一一日被告中谷が原告国に発送した回答文中においても前認定(13)のとおり、ただ無償による移転登記を拒否するに過ぎず、他へ売却ずみであることに言及した文言は全くないし、同年一一月一七日には前認定(15)のとおり被告の実母新宅幸恵が本件土地の原告国に対する所有権移転登記を了承したことなどに照らすと、被告ら自身が昭和三八年一二月一三日受付の所有権移転登記の登記原因として自ら記載している如く本件土地は同日をもつて、従前の借財の代物弁済などの目的で被告中谷から被告浜地へ売却されたものといわねばならず、昭和三六年に売買がなされたとの<証拠省略>は後記のとおり措信できず他に右認定を動かすに足る証拠はない。

そして、右認定の各事実を併せ考えると、被告浜地は原告国が被告中谷の先代から昭和一八年一一月二日本件土地を買受けその後長期間旧海軍省の勝浦磁気観測所、海上保安本部の勝浦水路観測所等の公共施設の用地として約二〇年間占有使用されてきたことを了知し、自己が代表取締役をしている株式会社丸浜組が右水路観測所の取毀しを請負いながら、原告国の本件土地の所有権移転登記がなされていないのに乗じ、自己が県会議員をしていることもあつてこの間の事情も熟知しているうえ原告国から被告中谷あてに再三本件土地の移転登記の請求を受けていることを知りつつ本件土地につき売買をなし所有権移転登記を受けたことが認められ、この売買は自由競争万能、利潤追求至上主義に反省が加えられ公正な取引が尊ばれる現代経済社会の現状に鑑みれば、被告浜地の所有権取得は短期間の間に相前後して二重譲渡を受けるなどの場合と異なり正常な自由競争による取引活動の範囲内にあるとはいえず、被告浜地はいわゆる背信的悪意者として原告国の所有権取得について登記の欠缺を主張する正当な利益を有する第三者に該らないことが推認でき、この認定に反する<証拠省略>は前記各証拠に照らし遽かに措信できないし、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

第二結論

以上のとおりであるから、その余の請求につき判断をするまでもなく、被告浜地は原告に対し主文第一項記載の登記の抹消登記手続をし、被告中谷は原告に対し本件土地につき主文第二項記載の所有権移転登記手続をすべき義務があることが明らかである。よつて、被告らに対しそれぞれ右の登記手続を求める原告の本訴主位的請求は正当であるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 吉川義春)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例